「まあまあの技術」で終わらせない——ノーベル経済学者の警告

AIで生産性が上がれば、会社も経済も自然に成長する——本当にそうでしょうか。ノーベル経済学賞のダロン・アセモグル氏は、いまのAIの多くを「まあまあの技術」と呼び、警鐘を鳴らしています。AIエージェント元年シリーズ第5回でお伝えします。

AIで生産性が上がれば、会社も経済も自然に成長していく。私たちは、なんとなくそう信じています。でも、本当にそうでしょうか。

前回(第4回)まで、AIとの新しい働き方を具体的に見てきました。今回は少し視点を引いて、そもそもAIは、私たちの会社や経済に何をもたらすのかを考えます。この問いに、意外な角度から警鐘を鳴らしている人がいます。ノーベル経済学賞を受けた経済学者、ダロン・アセモグルさんです。今日はその話をさせてください。

「まあまあの技術(So-so technology)」という言葉

多くの人は、AIで生産性が上がれば経済も伸びると考えています。直感的には、正しそうに思えます。ところがアセモグルさんは、いまのAIに対して、意外なほど慎重です。

彼が使うのが「So-so technology」、訳せば「まあまあの技術」という言葉です。人間の既存の作業を肩代わりはするけれど、新しい価値や新しい産業は生み出さない。そういう技術のことです。

なぜ、この区別が大事なのでしょうか。技術がもたらす経済効果が、ここでまったく変わってくるからです。既存の仕事を少し速くするだけの技術は、コストは下げても、社会全体のパイは大きくしません。アセモグルさんの見立てでは、いまのAIの使われ方の多くが、この「まあまあ」にとどまっている、というのです。

念のために言うと、これは「AIはダメだ」という話ではありません。「いまの使い方だと、宝の持ち腐れになりかねない」という警告です。

歴史が教える「本物の技術」の条件

では、本当に経済を大きく伸ばした技術とは、どんなものだったのか。歴史を振り返ると、共通点が見えてきます。

電気、自動車、インターネット。どれも、ただの効率化の道具ではありませんでした。

電気は、ロウソクの代わりで終わりませんでした。工場の作り方を変え、家電という産業を生み、夜の経済まで作り出した。自動車は、速い馬車ではなく、物流や観光や郊外の暮らしという、なかった市場を生んだ。インターネットも、手紙を速くしただけでなく、ネット通販やSNSやクラウドを次々に立ち上げました。

本物の技術は、いまある仕事を速くするのではなく、なかった仕事を大量に生み出すんです。

KEY INSIGHT

まあまあの技術は「同じ畑を、より速く耕すトラクター」。本物の技術は「砂漠を、新しい畑に変えてしまう」もの。耕す速さが上がるのと、耕せる土地そのものが広がるのとでは、もたらすものがまるで違います。

そして、いまのAIの使い方の多くは、文章の時短、問い合わせの自動化、コスト削減。つまり「より速く耕す」ほうに偏っています。アセモグルさんが心配しているのは、まさにここです。

現場で聞こえてくる、ちょっと怖い声

ここで、私が現場でよく聞く声を紹介させてください。

AIを社内に入れた経営者から、こう言われることがあります。「みんなの文章が、上手になったよ」と。そうでしょうね、と私は思います。AIのほうが、文章は上手ですから。

ところが、しばらく経つと、同じ経営者から別の声も聞こえてきます。「なんだか、内容がありきたりになった」「文章はきれいなのに、薄っぺらいんだ」。そして、いちばん引っかかるのがこれです。「部下が、自分の出してきた中身を、理解していないことが増えた」。

きれいな文章が、すらすら出てくる。でも、書いた本人が中身をわかっていない。これは効率化というより、何か大事なものが抜け落ち始めているサインではないか。私はそう感じています。

そして、この現場の実感を裏づける研究が、いくつもあるんです。

研究が示す、不都合な真実

象徴的なのが、コールセンターを対象にした大規模な研究です(Brynjolfssonらの「Generative AI at Work」)。AIを入れると、オペレーター全体の生産性は平均14%上がり、新人にいたっては34%も改善しました。ところが、ベテランにはほとんど効果がなかった。

これは何を意味するのか。AIは、まだ型を持たない人には型を授けてくれる。けれど、すでに自分の型を持っている熟練者には、ほとんど上乗せできない。それどころか、AIに頼るうちに自分で考える機会が減って、長い目で見ると腕を鈍らせかねない。そう心配する声もあります。

もう一つ、コンサルタント244人が参加した研究(ハーバードとBCGによる「ジャギッド・フロンティア=ぎざぎざの境界線」研究)も示唆に富みます。AIが得意な課題では、使った人の成果は大きく上がりました。ところがAIが苦手な課題では、AIを使った人のほうが、間違った答えをそのまま採用してしまう傾向が見られたのです。

「ぎざぎざの境界線」とは、AIの得意と不得意が、予測しづらく入り組んでいるという意味です。やっかいなのは、その境界線が外から見えないこと。使っている本人は、自分がいまAIの得意な側にいるのか、苦手な側にいるのか、気づけません。

文章作成の実験でも、生産性が上がる一方で、AIの文章をほとんど手直しせずに使う人が少なくなかった、と報告されています(具体的な割合は出典によって幅がありますが、傾向そのものは複数の研究で指摘されています)。生産性は上がっている。でも、人間が頭を使う量は、確実に減っている。これが現実です。

本当のリスクは「考えることをやめてしまうこと」

ここまでをつなぐと、AI時代の本当のリスクが見えてきます。

それは、仕事を奪われることではありません。考えることを、やめてしまうことです。

AIはとても優秀です。でも万能ではない。得意も苦手もある。本来なら、人間が判断して、その補助としてAIを使うはずでした。ところが現実には、AIの答えをそのまま受け取ってしまう場面が増えています。判断の主導権が、いつのまにか人間からAIへと滑り落ちている。

これは、このシリーズでずっと言ってきたことと重なります。前のシリーズでは「80点の出力を80点と見抜けない人は、AIに支配される」とお伝えしました。前回までは、山口周さんを引いて「AIが正解を返す時代に人間に残る価値は意味づけだ」と書きました。

アセモグルさんの警告は、この個人の話を、経済全体のスケールまで広げたものだと思います。一人ひとりが考えることをAIに明け渡せば、社会全体の創造性が、じわじわ痩せていく。だからこそ、AIに任せる部分と、人間が握り続ける部分の線引きが、これほど大事になるのです。

大事なのは、浮いた時間を何に使うか

「壮大な経済の話で、うちには関係ない」と思われるかもしれません。でも、この問いは中小企業の経営者にこそ向けられています。AIで浮いた時間を、何に使うのか。それは、まさに経営判断そのものだからです。

ある不動産会社の話です。AIを使って、バックオフィスの生産性が、なんと3倍になりました。さて、その会社は、浮いた時間を何に使ったと思いますか。

さらなる効率化でしょうか。新しいシステムの導入でしょうか。いいえ。答えは、「社員が道路に出て、チラシを配る」でした。

拍子抜けされたかもしれません。でも、私はこれこそ正解だと思いました。AIに任せられる事務作業はAIに渡し、空いた人手を、成約に直結する「人にしかできない仕事」へ振り直したんです。チラシを手渡し、声をかけ、顔を覚えてもらう。これは、AIには絶対にできません。

もう一つ、ある印刷会社は、空いた時間で顧客ごとの販促アイデアをAIと練り始め、「印刷を請け負う会社」から「販促を一緒に考える会社」へと、提供する価値そのものを広げていきました。

同じAIでも、速く耕すだけで終われば、コスト削減止まりです。空いた時間を「人にしかできないこと」や「新しい価値」に振り直せば、事業そのものが動き出す。違いはAIの性能ではなく、経営者がその時間を何に使うか、という意思のほうにあります。

まず何から始めるか

  • ステップ1:自社のAI活用を「効率化」と「価値創出」に仕分ける(10分)——いま社内でAIを使っている場面を書き出して、「コスト削減(速く耕す)」と「新しい価値(新しい畑)」に分けてみてください。ほとんどが前者に寄っているはずです。それでいいんです。まず現在地を知ることから。
  • ステップ2:「AIの答えを鵜呑みにした瞬間」を1つ思い出す(5分)——最近、AIの答えを吟味せずそのまま使った場面はありませんでしたか。それが「考えるのをやめかけた」サインです。次からは、その一歩手前で「これ、本当に正しい?」と一度だけ問い直す。この小さな癖が、評価力を守ってくれます。
  • ステップ3:「AIで新しく始められること」を1つ考える(10分)——効率化ではなく、「これまでできなかったこと」という目で、AIで挑戦できることを1つ書き出してみてください。新サービスの試作でも、新しい客層への提案でも、眠っているデータの活用でもいい。小さくて構いません。それが、まあまあの技術を本物に変える第一歩です。

完璧でなくていいです。「速く耕す」から「新しい畑を作る」へ。視点を一つ、動かしてみましょう。

まとめ:答えは、AIではなく人間の側にある

アセモグルさんは、いまのAIの多くを「まあまあの技術」と呼びました。既存の仕事は肩代わりするけれど、新しい価値は生んでいない、という警告です。研究が示すのは、生産性は上がる一方で、人間が考える量は減り、AIの誤りをそのまま受け取ってしまうリスクがあるという現実でした。

でも、私はここに希望もあると思っています。AIの本当の価値は、人間の代わりになることではなく、人間だけではできなかったことを可能にすることだからです。そして、その分かれ道を決めるのは、経営者がAIに何をさせるか、という意思です。

AIが電気やインターネットのような歴史的な技術になるのか、それとも「まあまあ便利な技術」で終わるのか。その答えは、AIの中にはありません。私たちがどう使うか、そこにかかっています。これは技術の問題ではなく、経営判断そのものなのだと思います。

次回はいよいよ最終回です。「AIを盲信しない」をテーマに、便利なAIの答えを鵜呑みにすると、私たちから何が静かに失われていくのか。日々の仕事の中で私が気づいた、4つの落とし穴を具体的にお話しします。


NEXT STEP

浮いた時間を「新しい価値」に変える経営判断を学ぶ

AIで空いた時間を、コスト削減で終わらせるか、新しい価値創出に振り向けるか。「シン・仕事術」セミナーでは、その分かれ道を見極めるための考え方を、実例とともにお伝えしています。

 

社長業専念コンサルタント 横山 一成

社長業専念コンサルタント 横山 一成

「経営者の志をリスペクトし、その具体化を通じて、お客様や働く仲間もワクワクする会社へ磨き上げるサポートをする」を理念に、社長業専念コンサルティング、企業改革・業務改善等の経営コンサルティング、従業員向け研修を実施している。

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